歴史に残る名勝負とドラマに溢れていた最後の鈴鹿1000km

夏休み最後の週末となった8月27日(日)、鈴鹿サーキットでは2017 AUTOBACS SUPER GTシリーズの第6戦、第46回インターナショナル鈴鹿1000kmが行われた。前回、もてぎで行われたスーパーフォーミュラで紹介した2&4は1975年に始まった長い歴史を持っているが、鈴鹿1000kmはさらに長い歴史を持っている。第1回大会が開催されたのは1967年、というからちょうど半世紀に渡って開催され続けてきた、国内でも屈指のクラシックイベントだ。今回は“ザ・ファイナル”と銘打たれていたが、それは来年から少し模様替えして、FIA-GT3をメインとした10時間の耐久レースに生まれ変わることになっていたから。レースウィークの金曜日には、コントロールタイヤ供給メーカーがピレリに決定したことなど、何度目かの記者発表会も行われている。このように、来年から始まる鈴鹿10時間耐久レースはじわじわと盛り上がりを見せていて、もちろんそちらも気になるのだが、今回のテーマは鈴鹿1000kmのファイナルレース。それは毎戦毎戦、大きな盛り上がりを見せるSUPER GTの中でも、また長い鈴鹿1000kmの歴史の中でも、屈指のバトルに沸いた、歴史的な1戦だった。

まずはキャスティングから説明しておこう。SUPER GTの最大の特徴でもあるウェイトハンディだが、最近は獲得ポイントに比例して参戦6レースまでは獲得ポイント×2kgとなっていて、第6戦の今回は全車が最も重いハンディウェイトを搭載していた。当然、ウェイトが軽いほうが有利だから、軽いクルマが優勝を目指し、重いクルマは重いクルマ同士のバトルに重点を置く、というのが鈴鹿1000kmの戦い方だ。具体的には、開幕から好調だったLEXUS勢は、19号車を除く全車が70kg以上のハンディウェイトを搭載。これにレース巧者らしい戦い方でランキング4位と同ポイントの5位に食い込んだNISMOの23号車辺りが“中段で1ポイントでも多く稼ぐ”争いを展開する一方で、ウェイトの軽い車両が総合優勝を狙ってスタートから飛び出す、といったところか。実際、公式予選でQ2に進出できたのは、TOM’Sの37号車(84kg)を除けば、全車50kg以下。反対に70kg~80kg台のハンディウェイトを搭載したランキング上位は、37号車を除くと全車がQ1で敗退していた。ちなみに、LEXUS勢は全車が今回からシーズン2基目のエンジンに換装していたが、その「真価が問われるのはウェイトが軽くなる次回のタイ・ラウンド以降」と開発陣が予想していたが、まさに想定していた通りだった。

決勝レースでも上位グリッドからスタートした、比較的軽い車両が序盤から主役を演じることになった。そしてアクシデントによってセーフティカーが導入され、それまで築き上げたマージンが一気に帳消しになるのも耐久レースでは“お約束”通り。そんな中でNISMOの23号車がジワリジワリとポジションを上げ、振り向けばNISMO、な展開となった。ただし彼らはルーティンピットから車両をレースに送り出す際にピットインしてきた車両とラインを交錯しかかり、ドライビングスルーペナルティを課せられる、らしくない展開となった。それもあって2位に留まった23号車を抑えてトップでチェッカーを受けたのはNAKAJIMAの64号車。チームにとっては2007年の最終戦・富士以来の勝利だったし、ベルトラ・バゲットにとってはこれがSUPER GT初優勝。ベテランの松浦孝亮にとっても13年の第4戦・SUGO以来2度目という、いずれも待望久しい優勝となった。優勝会見では松浦が涙で声を詰まらせる一幕もあり、彼らにとって長い長い苦戦の日々が窺われることに。

ただし、今回の主役に推したいのは彼らの後方でレース終盤に繰り広げられた3位争いだ。逃げるSARDの1号車/平手晃平と追い詰めるKUNIMITSUの100号車/山本尚貴の2人が繰り広げたドッグファイトは、まさに“死闘”と呼ぶにふさわしい迫真のバトルだった。72kgのハンディウェイトに苦しみながらも、チーム一丸となって3位にまで進出してきたSARDの1号車。後方からチャージしてくる軽い、ということはランキングでもずっと下に入る1台を先行させ、4位キープの作戦もあったはずだが平手の、ドライバーとしてのプライドが3位表彰台の死守、を選ばせた。一方、44kgと比較的軽量なKUNIMITSUの16号車にも、ドラマの綾があった。最後のスティントで山本がピットアウトして行った時からドリンクのシステムがトラぶってしまい、山本はスティントの最初から水なしでバトルに参加しなければならなかった。ただし山本は、この状況をピットに知らせることなく戦いを続けることになった。本人に確認することができなかったので、彼の気質から判断するだけだが、ピットに知らせてもピットインする訳にはいかないのは明らかで、それならば総てを自分で背負いこんでしまおう、と思ったはずだ。この山本の男気に溢れた判断の結果、サーキットに詰めかけた4万5000人の大観衆は、歴史にも残るであろう迫真のバトルを瞼に焼き付けることができたはずだ。最終的に、このバトルは山本が勝ち、表彰台をゲット。敗れた平手はタイヤを使い切ってしまったことで山本に抜かれた後もポジションを下げ、最終的にはデグナーカーブでクラッシュしてレースを終えることになったが、彼のファイティングスピリットには大拍手。プロレスみたいな自動車レース、と揶揄されることのあるSUPER GTだが、この日のレースは、昔からのレースファンにとってはつまらないバラエティに終わることなく、真のアスリートが主役で、スポーツと勝負がテーマの、ドラマチックなドキュメンタリーに昇華していた。もう半世紀近くレースを見続けてきた老ジャーナリストが久々に、最後までドキドキしていた、心に残る名勝負だったとも付け加えておこう。

快調に飛ばすKUNIMITSU/#100 RAYBRIGの山本尚貴。この日の走りは“神がかって”おり、メディアセンターでも「ゾーンに入ってるね!」とか「ドライビング・ハイだね!」との評価がしきりだった。

久々に優勝を果たしたNAKAJIMA、ほぼ最後尾から2位まで追い上げたNISMO。それぞれのドラマも記憶に残るレースだったが、やはりレース終盤のハイライトはKUNIMITSUがSARDを相手に繰り広げた好バトル。その激しさは、まさに“死闘”と呼ぶにふさわしいもので、山本尚貴は当初、疲労困憊、熱中症でポディウム
にも立てなかったほど。
少し遅れて山本が登壇(写真右から2人目)すると、場内は大きくどよめいた。

ライター:原田 了